euro life style エルス



フランスの旅ー大西洋岸で最も美しい港町、ラ・ロシェルー

  ラ・ロシェル、それは中世からルネッサンス期の古い町並みを残す大西洋岸随一の港町です。
オイスターシェルバッグのサプライヤーであるバッグメーカー、Matlamaマトラマ、そのデザイナー兼オーナーの、Marinaマリナを訪ねるための小旅行は、パリ、モンパルナス駅からTGVに乗って約3時間の汽車旅です。美しく魅力に富んだ港町であるにも関わらず、日本人観光客にはさほど知られていないのは、パリからのその短いとも長いともいえない微妙な距離が理由かも。

 
ラ・ロシェル_1

  到着した翌日、今回の旅のホストであるマリナが、ゲストの私をホテルまで自転車で迎えに来てくれました。私のスーツケースを彼女の自転車の荷台に乗せ、向かったのはハーバー前のカフェ。目の前に広がるハーバーと優雅に並ぶ白い帆船、その絶景にも関わらず人がまだまばらなのは、平日朝10時ということだけが理由ではないようです。夏のハイシーズンが過ぎれば、どこであろうと地方の観光地は人の数より椅子の数が目立つもの。整然と並べられたテーブルと椅子が清々しい朝の空気によく馴染んでいます。
 
ラ・ロシェル_2

  この日の空は雲ひとつない快晴。海につながる港町には青空がよく似合います。空は街全体を包み込むかのように広がり、人も建物もより小さく見えます。カフェに集うのはご近所に住む地元のフランス人のみ。カフェの上層階はアパートメントになっているらしく、「貸家」の看板がかかっていました。「お家賃はいくらぐらいかしら」とマリナに聞くと、「さあね」と全く関心のない様子。自分の立っている地面、自分の前にある仕事、自分と一緒に食卓を囲む家族と親しい友人、フランスの人の関心事はとっても現実的です。借りるあてもない家の家賃をなぜあなたが気にするの?と不思議そうな眼差しのマリナ。どっしりと安定感のある表情の彼女には大学生と小学生の2人の息子さんがいます。

 


  カフェからマトラマのアトリエまではほんの目と鼻の先なのですが、そこに行くためにはハーバーとその向こうにある倉庫街をつなぐ橋を渡ります。ハーバーを行き来するヨットのために橋げたが上がるタイミングにぶつかると、結構な時間待たされる羽目に。この日私たちを足止めしたのはこの赤い帆船でした。美しく優雅な赤の船体にみとれていると、マリナはちょっと興奮気味。有名な船で間近で見る機会は稀なのだそうです。晴れた空、穏やかな海面、滑るように走る赤い帆船が揃えば、このままポストカードとして出せるほどの絵力。予期せずして遭遇したこの町ならではの被写体に満足です。
 
 


  フランスにあって、長く大西洋側諸国の玄関口であったラ・ロシェルは、イギリス、オランダ、ドイツなどの諸外国との関係が深く、一時期はイギリスの統治下に置かれていた時代もあり、その影響が街並みにも残っています。旧市街を歩いてみると、白漆喰に黒い木材を張ったチューダー様式の建物が目に付きます。学生時代に語学留学で短期滞在をしたシェークスピアの街、ストラスフォードアポンエイボンへで見た家の形が何十年ぶりかに蘇ります。かつて全く別の場所で習い知った歴史や文化の片鱗は意外な所で見つかるものです。

 

  ちなみに、ラ・ロシェルの旧市街はアーケードマーケットが発達しており、雨の日でも傘をささずに買い物ができるのだそう。このアーケードも中世から近代までの建築様式を取り混ぜ、多様な顔を見せるラ・ロシェル観光お楽しみの一つ。古い建物が大好物の私にとっても発見がたくさんありました。

 

  ランチは、ハーバーと倉庫街の間にある海洋博物館内のカフェで。白身魚のフライに3種の緑野菜が豪快に添えられ、こってりとしたマヨネーズが薬味。3種の緑野菜とは、ブロッコリー、シュー・サヴォワ、名前は分かりませんが菊菜のような形の葉。ブロッコリーは茹でてあり、シュー・サヴォワは油で炒めてあり、葉野菜は生でした。あまりお目にかかれない付け合わせでしたが、野菜不足になりがちな旅では嬉しいボリューム感。ちなみに、シュー・サヴォワとは、サヴォワ地方のキャベツの事です。普通によくある白キャベツと違って緑が濃く、ゴワゴワした固い葉っぱは噛み応え十分。生では食べられないので、煮込んだり炒めたりします。

 

  食べても食べても無くならない緑野菜にフォークを突き刺してはすくい取るという反復運動の傍、テーブルの足元をふと見ると、ラジエーターのパネルの上をくりぬかれたお魚の形が踊っていました。この海洋博物館では大きなサメを飼育しているそうで、1日に何度かは餌やりが一般公開されているのだとか。グッズの販売コーナーにはいきませんでしたが、こんなパネルはうちに欲しい!
 

  ラ・ロシェルの黄昏時。Le Vieux Port旧港は、必ずと言って良いほどこの街の紹介に使われるシンボル。常に外界からの侵略にさらされていたこの街では、この二つの塔が門の役割をしており、鎖塔の根元にある大鎖で塔の間をつなぎ、港を閉鎖して街を守ったそうです。12 世紀プロテスタントの牙城となってからは、自国フランスにあって同じフランス人のカトリック政派から攻撃を受けるという過酷な時代を経験しています。ルイ13世の時代、宰相リシュリューがこの街を包囲し、ついには陥落させた、との史実があります。アレクサンドル・デュマの小説『三銃士』では、主人公ダルタニアンと三銃士がこの戦争に参戦していることが書かれています。私にとっては特急電車で3時間、17世紀の三銃士にとっては馬で2−3日間はかかるパリからの旅。この日空高く上がった月は、この美しい港町の辿った数百年を凝縮するかのように、穏やかで美しい光を放っていました。