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郵便配達夫の革鞄ー映画『Il Postino』に見る時代と人生



  ただただその映像が、そしてその音楽が美しすぎて、人々の心に長く残るイタリア映画がいくつかあります。『Il Postino郵便配達夫』もその一つ。映画の中で移り変わる風景はナポリのカプリ島周辺の海辺と田舎街のみで、出てくる人物はあまり多くはありません。主人公の郵便配達夫マリオと、世界的に有名な詩人パブロ。自分に与えられた人生に閉塞感を感じていた青年は、父と同じ漁師になることを拒み、異国から来た何か訳ありの詩人に毎日郵便を届ける仕事を選びます。詩人の紡ぎ出す言葉の魔法に魅せられた彼は、徐々に自分の中に眠っていた感情が覚醒していくことに興奮しつつも、自分を取り巻く小さな社会とのギャップに葛藤を覚えます。
  二人が岸壁で出会う印象的な場面はこの映画の宣伝ポスターに使われました。青い海を背景に全く異なる世界に住む二人が異なる鞄を持って向き合います。その鞄こそがそれぞれの人生を象徴する非常に重要なアイコンでした。
 


  詩人パウロが持っていたのは底が長方形でがま口のように開く旅行鞄。お医者さんの往診バッグをお洒落にしたような形で、持つ人の職業や社会的な地位を示しています。郵便配達夫マリオが肩から下げているのは、郵便物を運ぶための古びた革鞄。前職から受け継いだのか黒光りして使い込んだ様子が見て取れます。言葉で語らずとも二人のこれまでの人生を凝縮したような、イタリア映画らしい粋な演出です。ちなみに、2−3日の旅行にぴったりなサイズの鞄を日本ではボストンバッグと呼びますが、大正時代に日本人が西洋の鞄を模倣して作りそう命名したのだとか。その原型となったのが米国ボストンの大学生が重たい本などを入れるのに使っていた丈夫な鞄で、米国ではClub bagと称し、ボストンバッグとは呼ばないそうです。開閉にファスナーが使われるようになって普及し、日本では形とともにボストンという名前が定着しました。上の画像はエルスがイタリアトスカーナ地方から取り寄せているボストンバッグタイプの旅行鞄。このバッグを作っているメーカー、UASHMAMAは、この形の旅行鞄を「Roma bag ーローマバッグ」と名付けています。
 
 


  南北に伸びる長靴の国イタリア、ローマといえば、言わずと知れた古代から栄える大都市であり、富裕層に支えられて皮革産業も盛んです。上質な革製バッグの生産地へのオマージュなのか、はたまたイタリアでは「旅」に出るといえばローマをさしたのか、名前の由来への想像が膨らみます。このオンラインショップの「Travel in Europe」というページでは、特にイタリアやフランスで見つけた個性的なバッグを数多くご紹介していますが、日常で活躍するクラッチやかごバッグ、小型のトートバッグの他にも、上記のRoma bagのように2−3日の小旅行や、郊外でのピクニック、少し遠い長期の旅行にでもお持ちいただける実用的な鞄を、他にも素材や色、形にこだわりつつセレクトしています。例えば、スポーティなバックパックとは異なる角形、トートバッグにショルダーストラップのついたこのChiara bagーキアラバッグは、従来よりもさらに水ぬれや汚れに強いセルロース・ファイバー(紙)TECという素材を使っています。特殊コーティングでレザーのような風合いをさらに増し、言わなければどなたも素材が紙だとは気づきません。鞄といえば革製が主流だった昔と比べ、かなりの軽量化に成功しています。

 

 
  こちらは、少し小さめの手提げ鞄。もともとはお弁当を入れる筒状の袋が原型なため、Lunch bagーランチバッグと呼ばれています。TECではなく、よりナチュラルな風合いのペーパーバッグで、ショルダーストラップをつけることで汎用性も広がりました。ファスナーを使わず折り曲げた開口部分の革製の留め具がアクセント。詩人のパウロも郵便配達夫のマリオも、子供の頃は筒形の紙袋にパンやりんごを入れて学校に持って行っていたはず。この形には、イタリア人のノスタルジーが詰まっているとも言えます。ハンドルをそのまま握って持てばキュートですが、マリオの郵便配達鞄と同じようにたすき掛けで持てば、旅行中はハンズフリーで、財布や小物を入れる携帯バッグとして大いに活用できますね。


 


 
  バッグの本家本元のイタリアで、素材が伝統的な革から特殊な紙に変化しているように、戦後海外への一般旅行者が飛躍的に増えた日本でも、旅行鞄の変容は重から軽へと拍車がかかっています。こちらは亡き母から譲り受けた特大のトランクケース。オペラコンサートに行くため常に数枚のフォーマルドレスを持参した母の持ち物でした。今思えば70代の女性が腰の位置を超えるこんな大きなトランクで海外に出ていたこと自体が驚きですが、晩年はめっきり小さくなった母その人がすっぽり入ってしまうほどの旅行鞄に、一つの時代が終わったことを告げられているような気がします。当時は最軽量だったアルミのトランクは、私自身の旅の目的や滞在日数が変化した数年後に、さらに軽くて丈夫な素材の新しいスーツケースに取って代わられ、今は寝室の片隅で身を潜めています。

 


  映画『Il Postinoー郵便配達夫』の舞台になったナポリ湾の島・プローチダ島には、撮影現場となった酒場が今でもそのまま残っていて、店の主人が映画を偲んで訪れる人にポスターや写真などを見せてくれるそうです。マリオを演じたマッシモ・トロイージはイタリアでは屈指の喜劇俳優で、この映画を撮る頃には重い心臓の病を患っていました。手術を受けることよりもこの映画を完成させることを望んだ彼は、映画がクラックアップしてわずか12時間後に亡くなったため、この作品が遺作となりました。棚に飾られた革鞄は映画に使われたのと同じ、1950年代に郵便配達に実際に使われていたもの。酒場の主人が後にローマで見つけたものを買い求め、亡き俳優を偲んでポスターや写真と一緒に飾ったのだそうです。使い込まれて黒光りしたこの鞄こそが、名もない郵便配達夫という主人公マリオの役柄と、その役柄を演じきって人生の幕を閉じた俳優トロイージの面影を伝える形見として、映画が公開されて18年経った今でも見る人の心に強く訴えかけています。